2014-12-18

子ども会ニュース:2014ジャパンデー(東日本大震災チャリティー)報告

2014年3月に行われたフライブルクVHSとの共同イベント、ジャパンデー(東日本大震災チャリティー)の活動報告です。日本円での募金額確認に時間がかかり、このブログでの報告が遅れました。

2014年3月-------

まずは開催を知らせる太鼓の合図。そしてフライブルクVHS(市民大学)の校長先生からイベント開始の挨拶。今回のテーマは、日本文化を知ってもらうこと。合気道、弓道、そして茶道のデモンストレーションは特に好評でした。子ども会の子供たちと大人コーラスによる合唱、子供たちの詩の朗読にも大きな拍手を貰いました。他には、好きな言葉や自分の名前を習字で書いて渡したり、一緒に折紙を折ったり、寿司の親方の実演販売もありで盛りだくさんのイベントがあったジャパンデーでした。

募金は、送金を実施してくれるSparkasse(シュパーカッセ銀行)からの寄付(500ユーロ)を加え、総額3,659.12ユーロ(日本円にして512,715円)となりました。募金先は昨年同様、NPO法人 沖縄・珠美の里(くみのさと)に送金いたしました。

この場を借りて、会場に足を運んでくださった皆さん、募金をしてくださった皆さん、そしてイベント実施に協力してくださったボランティアの皆さんにお礼を申し上げます。誠にありがとうございました!!

またこの寄付に伴ってSparkasseから小切手のプラカードを貰い、そのプラカードを子ども会会員の遠藤さんが沖縄まで届けてくれました。どうもありがとう!訪問時の様子も書いてもらいました。再度、どうもありがとう!

2014年4月-------

今年4月に、沖縄の久米島にあるこどものための保養施設、球美の里を家族ともども見学してきました。
球美の里は、子ども会が全面的に協力している、VHSJapan Dayの収益金の昨年にひきつづき、今年の寄付先です。
球美の里を立ち上げたのは、フォトジャーナリストの広河隆一氏。すでにチェルノブイリ事故の際に、被曝した子供たちの保養の必要性を説き、ベラルーシの保養所「希望21」を設立当初から支援してきた人です。
震災の次の年2012年夏にはすでに保養の受け入れまでにこぎ着けたのですから、その機動力は経験から培われているとはいえ、並大抵ではありません。


今回伺ったときは広河さんには残念ながら会えませんでしたが、長い間広河さんの活動に賛同している向井雪子さんが案内をしてくださいました。
場所は沖縄の海が見晴るかせる丘の上。時間(と体力?)のない私たちはタクシーでのぼりました。
ここは以前、陶芸家が使っていたらしく、その竃やアトリエなどの建物を屋内遊技場や図書館として有効に使っていました。その他に母屋があり、また、自分たちで育てている菜園やたくさんの木々、植物などがあり、事前の中で子供たちがのびのびと暮らすのに適している環境だと感じました。

向井さんの話によると、保養期間は当初14日だったけれど、現在は9日に短縮されたとのこと。理由を想像してみてください。
未就学児の保養は基本的に親が同伴します。働いている親が同伴する場合、2週間の休みをとるのがほとんど不可能に近いのだそうです。それで9日間。
きっと日本では9日間の休暇でも肩身の狭い思いでとるのでしょうね。
ベラルーシの保養所「希望21」では学校のクラスごとごっそり(しかも、期間は失念しましたが確かなのは、もっと長期間)保養に来るのと比較しても、残念です。
国や福島県などの自治体が積極的に関与して、資金面でのバックアップはもちろん、学校ぐるみでの保養計画、保養のための休学許可など、できることはいろいろあるはずです。
4月現在では国からの補助もまったくない状態でした。
運営のほとんどを寄付に依っているということで、ボランティアの方はここではなくてはならない存在です。

一度の保養ではおよそ30人の子供たちがやってきます。9日間という短い期間中、子供たちは工作や、浜辺への遠足、ほたる観察、琉球古武道体験等々、盛りだくさんの経験をして帰って行きます。思いがけず、お昼もごちそうになってしまったのですが、おいしかったですよ!子供たちもみんないっぱい食べていました。
私たちが訪ねたときの24次保養の子供たちは、休み中ではなかったことから未就学児が多く、従って付き添いのお母さんもたくさんおられました。
お母さんがたにお話を聞くと、ここでは子供たちへの被曝の影響についてなど、地元では吐き出せない共通の認識を持っている人たちと気兼ねなく話せることが、どんなに自分自身にとっても精神的によいことか、実感しているようでした。

わがやの子供たちもすっかりとけ込み、できればもっと遊んでいたい様子でした。

球美の里のブログはこちらです。
2014年4月の24次保養の記事に私たちのことが少し載っています。

母屋の建て増しをしたという話をききました。今後も保養の需要は続きます。


余談ですが、今回の沖縄の旅は、その他、沖縄がかつて一つの自立した国であったということを実感する旅、アメリカと日本、日本と沖縄の関係に思いを巡らせる旅、奥深い森や美しい海に触れる旅、そして言わずもがな、オリオンビールを味わう旅となりました。辺野古の近く高江でオスプレイ用の発着地建設反対にも署名しました。ご存知の通り、先の沖縄県知事選で辺野古移設反対の知事が誕生しましたが、これが沖縄のあり方の転機になればと切に思います。


母屋全景

寄付金の小切手を持って

寄付金の小切手を持って

菜園

雨の日の遊技場、イベントにも使われる
図書館 ひんやりして気持ちがいい

貝を使った工作

植樹の看板作り(保養ごとに植樹している)

お昼
お昼時の調理場